「もの国」ブログ - 最新エントリー
意欲はどこから(2)(2011/08/31)
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
今夏、私が部長を務めるウェイトリフティング部の合宿を北海道士別市で行った。この地ではこの20年間で5回ほど合宿を行っている。その間に士別市の人口はかなり減少し、市はトヨタなどの自動車関連試験研究施設と陸上長距離などのスポーツ合宿をテコに町の活性化を図っている。最近ではドイツや中国などのスポーツチームもここで合宿をしている。われわれは市の体育館で練習を行ったが、そこでは全日本の投てきチームも合宿を行っていた。市全体がスポーツ合宿を応援していることを感じることができる「場」となっている。このため、学生たちにも地域社会の中で練習をする、という意識が自然に生まれ、言われなくても普段以上にしっかりした立ち居振る舞いになる、というメリットもある。
士別市は自動車の耐寒テストなどに適した、冬場の平均気温が非常に低い地域であり、夏も30度を超える日はあまりなく、これも士別での合宿のメリットの一つとなっている。しかし、今回は連日30度を超える暑さで、夜もあまり気温が下がらなかった。このような中で部員たちは朝から晩まで熱心に練習を行った。幸い、熱中症になったり怪我をする選手もいなかった。
連日の激しい練習にも関わらず、合宿の最終日の練習は非常に盛り上がった。午前中にかなりきつい練習をやった後に、午後さらに高い強度の練習を行った。女子は競技2種目の自己ベストの90%を3回繰り返すという練習だ。例えばジャークの自己ベストが100kgの場合、90kgでこれを連続3回繰り返す。通常、85%くらいであれば何とかできるが、身体が疲れている状態でこれを行うことは非常に難しくきつい。それでも何名かはこれをこなした。その時、見ている部員たちからは気合のこもった声がかかり、練習場は真剣勝負を行っているかのような雰囲気で盛り上がった。一方、男子は、通常の練習を終えた後、6つのトレーニング種目を低重量高回数で40分間休むことなく繰り返す、という練習を行った。この時は、皆で回数を数え、激励の声を出して、まさにお神輿を担いているかのようなお祭り騒ぎの盛り上がり方であった。
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
今夏、私が部長を務めるウェイトリフティング部の合宿を北海道士別市で行った。この地ではこの20年間で5回ほど合宿を行っている。その間に士別市の人口はかなり減少し、市はトヨタなどの自動車関連試験研究施設と陸上長距離などのスポーツ合宿をテコに町の活性化を図っている。最近ではドイツや中国などのスポーツチームもここで合宿をしている。われわれは市の体育館で練習を行ったが、そこでは全日本の投てきチームも合宿を行っていた。市全体がスポーツ合宿を応援していることを感じることができる「場」となっている。このため、学生たちにも地域社会の中で練習をする、という意識が自然に生まれ、言われなくても普段以上にしっかりした立ち居振る舞いになる、というメリットもある。
士別市は自動車の耐寒テストなどに適した、冬場の平均気温が非常に低い地域であり、夏も30度を超える日はあまりなく、これも士別での合宿のメリットの一つとなっている。しかし、今回は連日30度を超える暑さで、夜もあまり気温が下がらなかった。このような中で部員たちは朝から晩まで熱心に練習を行った。幸い、熱中症になったり怪我をする選手もいなかった。
連日の激しい練習にも関わらず、合宿の最終日の練習は非常に盛り上がった。午前中にかなりきつい練習をやった後に、午後さらに高い強度の練習を行った。女子は競技2種目の自己ベストの90%を3回繰り返すという練習だ。例えばジャークの自己ベストが100kgの場合、90kgでこれを連続3回繰り返す。通常、85%くらいであれば何とかできるが、身体が疲れている状態でこれを行うことは非常に難しくきつい。それでも何名かはこれをこなした。その時、見ている部員たちからは気合のこもった声がかかり、練習場は真剣勝負を行っているかのような雰囲気で盛り上がった。一方、男子は、通常の練習を終えた後、6つのトレーニング種目を低重量高回数で40分間休むことなく繰り返す、という練習を行った。この時は、皆で回数を数え、激励の声を出して、まさにお神輿を担いているかのようなお祭り騒ぎの盛り上がり方であった。
京都試作ネットの十周年記念式典に招かれました。京都市長を肇とし、そうそうたる来賓による鏡割りに始まり、十年間の歴史を振り返り、さらに今後の展開などについてのお話もありました。今でこそ、「試作」を中小企業間の「連携」で行うということは全国で数多く取り組まれている事業ですが、それをいち早く取り組み、着実に業績を積み重ねてきた「本家」としては、それら後発との差別化をこれから強化していくということで、その中でも特に「国際化」が一つのキーワードとして取り上げていくとの説明がありました。さらに次の十年に向けての京都試作ネットの取り組みが、期待されるところです。
大学の教壇に「ゆるキャラ」を呼んだ理由
「テレビで見ましたよ。くまモンと一緒に映ってたでしょう 笑」 7月11日のお昼過ぎ、早速メールが飛び込んできた。
この日の朝、担当している関西大学商学部の講義に、熊本県の観光PRを行うゆるキャラ「くまモン」を招請した。NHKでは、講義当日の正午と夕方だけではなく、熊本局では二日前にも「予告」という形でニュース番組で放送されるなど、民放でも当日、大阪や熊本で報じられた。報道では、くまモンだけがクローズアップされ、お遊びをしているかのようなイメージで採られかねなかったので、今回、どういった経緯で、こんなことになったのかを、少し説明しておきたいと思う。
そもそもくまモンは、しゃべることができない(笑)ので、講義の冒頭に登場し、教室で愛想を振りまいた後、引き続いて熊本県観光経済交流局くまもとブランド推進課の成尾雅貴審議員から、今年3月の九州新幹線全線開業を契機とした関西地区との交流人口拡大策「KANSAI戦略」について講義をしていただいた。
大学の教壇に「ゆるキャラ」を呼んだ理由
「テレビで見ましたよ。くまモンと一緒に映ってたでしょう 笑」 7月11日のお昼過ぎ、早速メールが飛び込んできた。
この日の朝、担当している関西大学商学部の講義に、熊本県の観光PRを行うゆるキャラ「くまモン」を招請した。NHKでは、講義当日の正午と夕方だけではなく、熊本局では二日前にも「予告」という形でニュース番組で放送されるなど、民放でも当日、大阪や熊本で報じられた。報道では、くまモンだけがクローズアップされ、お遊びをしているかのようなイメージで採られかねなかったので、今回、どういった経緯で、こんなことになったのかを、少し説明しておきたいと思う。
そもそもくまモンは、しゃべることができない(笑)ので、講義の冒頭に登場し、教室で愛想を振りまいた後、引き続いて熊本県観光経済交流局くまもとブランド推進課の成尾雅貴審議員から、今年3月の九州新幹線全線開業を契機とした関西地区との交流人口拡大策「KANSAI戦略」について講義をしていただいた。
恩師の言葉(2011/07/31)
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
最近、恩師の言葉を思い出すことが多い。例えば、このようなことを言われたことがある。「絶えず意識を覚醒させていることが重要だ。ボーッとしていてはだめだ。データを集める。本を読む。思索を続け、相手に言葉を与える。伝えた言葉は、正確に捉えられているかどうかは別にして、これを聞いた人や読んだ人にそれなりに移植される。佐藤一斎の「死して朽ちず」とはこのことだ」。
同様の主旨を別の表現でも言われた。小生の脚色も少し加えると以下のような内容だ。「自己を磨くには、今この一瞬の自己を磨くしかない。「明日ありと思う心のあだ桜、夜半にあらしの吹かぬものかは」(親鸞の吟詠と言われているらしい)だよ。なすべきことは、明日にでもと言わずに、今直ちにこれを行うべし。この一瞬こそ、永遠の一瞬だ。これを"eternal now" という。この一瞬に集中して努力する一瞬が、永遠に活きる今だ」。この一点のこの一瞬を全力で活きる。刹那精励主義とでも言うのかもしれない。
ある年の卒業生に言われた言葉。「会社に入ったら、自分の行動原理を知ることが重要だ。会社が自分の運命共同体であると考えるのかどうかを省察しろ。戦後の日本経済を支えてきた原理は、本来は機能集団であるはずの企業というものを、そこに勤める人が自らの運命共同体と捉え、その共同体でひたすら真面目に勤労にいそしむ、ということにあった。この共同体の中でどう自己の存在をどう確保するか。今こそ個人としての行動原理を持つことが必要だ。そのためには、国家をあてにしない、企業をあてにしない、親をあてにしないことだ。依頼心が身を滅ぼす。超然(detachment)として、第三者の目で自分を見ることだ」。
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
最近、恩師の言葉を思い出すことが多い。例えば、このようなことを言われたことがある。「絶えず意識を覚醒させていることが重要だ。ボーッとしていてはだめだ。データを集める。本を読む。思索を続け、相手に言葉を与える。伝えた言葉は、正確に捉えられているかどうかは別にして、これを聞いた人や読んだ人にそれなりに移植される。佐藤一斎の「死して朽ちず」とはこのことだ」。
同様の主旨を別の表現でも言われた。小生の脚色も少し加えると以下のような内容だ。「自己を磨くには、今この一瞬の自己を磨くしかない。「明日ありと思う心のあだ桜、夜半にあらしの吹かぬものかは」(親鸞の吟詠と言われているらしい)だよ。なすべきことは、明日にでもと言わずに、今直ちにこれを行うべし。この一瞬こそ、永遠の一瞬だ。これを"eternal now" という。この一瞬に集中して努力する一瞬が、永遠に活きる今だ」。この一点のこの一瞬を全力で活きる。刹那精励主義とでも言うのかもしれない。
ある年の卒業生に言われた言葉。「会社に入ったら、自分の行動原理を知ることが重要だ。会社が自分の運命共同体であると考えるのかどうかを省察しろ。戦後の日本経済を支えてきた原理は、本来は機能集団であるはずの企業というものを、そこに勤める人が自らの運命共同体と捉え、その共同体でひたすら真面目に勤労にいそしむ、ということにあった。この共同体の中でどう自己の存在をどう確保するか。今こそ個人としての行動原理を持つことが必要だ。そのためには、国家をあてにしない、企業をあてにしない、親をあてにしないことだ。依頼心が身を滅ぼす。超然(detachment)として、第三者の目で自分を見ることだ」。
(2011/06/30)
蒸し暑い梅雨が明けたら、いきなり真夏の暑さ。年々、暑さが激しくなっているような。節電もいいですが、窓の開かない鉄道車両で、冷房が充分に聞いていないと、なんだか酸欠になってくるようです。臨機応変に対応して欲しいモンです。
新幹線効果はどうでるか 〜 九州新幹線の100日
九州新幹線が全線開通したのは、3月12日。前日の大震災の影響もあって、予定されていた開通関係の祝賀行事はほとんどが中止。宣伝広報活動も自粛が続いた。それからすでに3ヶ月以上落ち着きを取り戻しつつある中で、どのような新幹線効果が現れ始めているのだろうか。
九州新幹線は、2004年に新八代(熊本)・鹿児島中央間が先行開通し、博多から在来線特急で新八代まで行き、そこから鹿児島中央までが新幹線という変則的な状況が続いてきた。
今回、この新八代から博多までが開通したことにより、新大阪から直通の新幹線で鹿児島中央まで行けることになった。
6月に入り、JR九州が全線開業以降初めて、4月の利用客数を発表した。それによると、全体では利用客数が増加したものの、駅によって予想利用客数との間で大きな差が出ている。特に熊本より北側、すなわち博多に近い駅で予想を下回る結果がでている。
熊本駅は1万2550人で予想に対して4%のマイナス。さらに、在来線との接続が悪く市街地からも遠い筑後船小屋、新大牟田、新玉名の3駅などでは1000人に満たない状況であった。
一方、終着駅の鹿児島中央駅では1万3000人と、予想に対して12%増と大幅な伸びとなった。
蒸し暑い梅雨が明けたら、いきなり真夏の暑さ。年々、暑さが激しくなっているような。節電もいいですが、窓の開かない鉄道車両で、冷房が充分に聞いていないと、なんだか酸欠になってくるようです。臨機応変に対応して欲しいモンです。
新幹線効果はどうでるか 〜 九州新幹線の100日
九州新幹線が全線開通したのは、3月12日。前日の大震災の影響もあって、予定されていた開通関係の祝賀行事はほとんどが中止。宣伝広報活動も自粛が続いた。それからすでに3ヶ月以上落ち着きを取り戻しつつある中で、どのような新幹線効果が現れ始めているのだろうか。
九州新幹線は、2004年に新八代(熊本)・鹿児島中央間が先行開通し、博多から在来線特急で新八代まで行き、そこから鹿児島中央までが新幹線という変則的な状況が続いてきた。
今回、この新八代から博多までが開通したことにより、新大阪から直通の新幹線で鹿児島中央まで行けることになった。
6月に入り、JR九州が全線開業以降初めて、4月の利用客数を発表した。それによると、全体では利用客数が増加したものの、駅によって予想利用客数との間で大きな差が出ている。特に熊本より北側、すなわち博多に近い駅で予想を下回る結果がでている。
熊本駅は1万2550人で予想に対して4%のマイナス。さらに、在来線との接続が悪く市街地からも遠い筑後船小屋、新大牟田、新玉名の3駅などでは1000人に満たない状況であった。
一方、終着駅の鹿児島中央駅では1万3000人と、予想に対して12%増と大幅な伸びとなった。
モノづくりで人を育てる(2011/06/30)
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
ゼミ生たちの就職活動も終盤にさしかかってきた。内定をいくつももらう学生がいる一方で連戦連敗の学生もいて悲喜こもごもの状況が毎年繰り返されている。一方で今年4月に入社したゼミOBたちは新入社員として修業の真っ最中のようだ。じっくりと時間をかけて研修をする企業もあればいきなり現場に放り込む企業もある。いずれにしても彼らが自分の力で本格的に付加価値を生み出すことができるようになるには今しばらくの猶予が必要だろう。
大手メーカの中には新入社員教育で、金鋸で金属を切断する作業をやらせて一日で何個切れるかを競わせるという企業がある。やすりがけも一日中ひたすらやらせるという。狙いは「仕事とは何か」を教えることにある。針金曲げをさせるだけでも意欲のあるなしがわかるそうだ。
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
ゼミ生たちの就職活動も終盤にさしかかってきた。内定をいくつももらう学生がいる一方で連戦連敗の学生もいて悲喜こもごもの状況が毎年繰り返されている。一方で今年4月に入社したゼミOBたちは新入社員として修業の真っ最中のようだ。じっくりと時間をかけて研修をする企業もあればいきなり現場に放り込む企業もある。いずれにしても彼らが自分の力で本格的に付加価値を生み出すことができるようになるには今しばらくの猶予が必要だろう。
大手メーカの中には新入社員教育で、金鋸で金属を切断する作業をやらせて一日で何個切れるかを競わせるという企業がある。やすりがけも一日中ひたすらやらせるという。狙いは「仕事とは何か」を教えることにある。針金曲げをさせるだけでも意欲のあるなしがわかるそうだ。
米子に行ってきました。実は今まで米子市内は油断して、ゆっくり歩いたことがなかったのです。今回、市内をじっくり歩いてみて、なかなか良いところだなと勉強になりました。
最大の収穫は「ネギマン」。地元発の本格特撮映画らしいです。9月完成を目指して、鋭意製作中らしいです。今なら、7月中撮影のエキストラも募集があるみたいです。最近、ぎすぎすした話題が多い中、こうゆう脱力系の話題はいいですねえ。ネギマンブログ⇒http://ameblo.jp/yonago-negiman/
あえて聞いてみたい。「本当に太陽光発電は原発の代替になるのか」
世の中、「太陽光発電」の話でもちきりである。しかし、ちょっと待てよ。そんなに簡単な話なのだろうか。
そもそも、なんと言ってもお天気任せである。その辺のところはどうなっているのだろうか。
そんな疑問を投げかけただけで、最近は、「じゃあ、君は原発賛成かね!?」と罵声を浴びかねない雰囲気がある。そういう風潮は気持ち悪い。でも、あえて聞いてみたい。「本当に太陽光発電は原発の代替になるのか。」
孫正義氏のソーラー発電所構想。菅首相のソーラー1000万戸構想。さらには橋下大阪府知事のソーラーパネル設置義務化と、矢継ぎ早に繰り出されるのだが、果たしてそんなに簡単なものなのだろうか。
最大の疑問は、自然エネルギーの活用手法である。例えば、今年のように例年より10日も早く梅雨入りすると、当然、太陽光を得られないから、発電量は減少する。すると、太陽光発電推進派の説明を読むと、「そういう場合は火力発電所からの電力でまかなえばよい」となる。
しかし、そうすると非常に大きな疑問が残る。仮にある日の電力量のピークをPとする。もし、その日が晴天で太陽光発電が順調であると、P<太陽光による発電量Sでなんの問題ものない。しかし、数日間、雨が続いているとすると、S=0あるいは非常に少なくなる。すると、P=S+火力発電Fになるわけだ。一見、なんの問題もないように思える。
最大の収穫は「ネギマン」。地元発の本格特撮映画らしいです。9月完成を目指して、鋭意製作中らしいです。今なら、7月中撮影のエキストラも募集があるみたいです。最近、ぎすぎすした話題が多い中、こうゆう脱力系の話題はいいですねえ。ネギマンブログ⇒http://ameblo.jp/yonago-negiman/
あえて聞いてみたい。「本当に太陽光発電は原発の代替になるのか」
世の中、「太陽光発電」の話でもちきりである。しかし、ちょっと待てよ。そんなに簡単な話なのだろうか。
そもそも、なんと言ってもお天気任せである。その辺のところはどうなっているのだろうか。
そんな疑問を投げかけただけで、最近は、「じゃあ、君は原発賛成かね!?」と罵声を浴びかねない雰囲気がある。そういう風潮は気持ち悪い。でも、あえて聞いてみたい。「本当に太陽光発電は原発の代替になるのか。」
孫正義氏のソーラー発電所構想。菅首相のソーラー1000万戸構想。さらには橋下大阪府知事のソーラーパネル設置義務化と、矢継ぎ早に繰り出されるのだが、果たしてそんなに簡単なものなのだろうか。
最大の疑問は、自然エネルギーの活用手法である。例えば、今年のように例年より10日も早く梅雨入りすると、当然、太陽光を得られないから、発電量は減少する。すると、太陽光発電推進派の説明を読むと、「そういう場合は火力発電所からの電力でまかなえばよい」となる。
しかし、そうすると非常に大きな疑問が残る。仮にある日の電力量のピークをPとする。もし、その日が晴天で太陽光発電が順調であると、P<太陽光による発電量Sでなんの問題ものない。しかし、数日間、雨が続いているとすると、S=0あるいは非常に少なくなる。すると、P=S+火力発電Fになるわけだ。一見、なんの問題もないように思える。
(2011/05/31)
スワンベーカリーのパン販売
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
随想録(93)(注1)に書いたように、2007年10月から、スワンベーカリー十条店・赤羽店のパンを学部ゼミ生と障がい者の方たちと一緒に学内で毎週1回お昼休み時に販売している。売上は次第に伸び始め、2008年は売上金額は2万5千円から3万5千円、個数では200個くらいは売れた。しかし、2009年になって小麦粉の値上げによる価格引き上げの影響や他店(学内コンビニ、地元商店による格安弁当の学内販売店)との競合もあって売上が減少し、2万円を切ることも多くなった。
そこで、2009年6月から、14号館1階ホールでの販売に加えて、商学部のある11号館3階の教員室で教員室職員の方たちの協力を得て販売を開始した。最初は3千円ほどの売上だったがほどなくして5千円を超えるようになった。クチコミで職員や教員の間に評判が広まってくるとともに売上は増え、2010年からは1万円を超えることも多くなり、14号館の売上との合計で再び3万円に届く日も出てきた。2011年度は震災により授業開始が1ヶ月遅れて売上が心配だったが、初回3万8千円、次週は3万9千円と上々の滑り出しとなった。
最近は「障害者の作ったパン」ということはあまり前面に出さないで売っているので、事情を知らない教員の方には「鵜飼さん、パン屋さんを始めたの?」と率直な質問をする人もいる。それでも「来週はこれを用意しておいて」と予約をいただくことも少なくない。毎回「千円分」と大人買いをしてくれる教員もいる。
スワンベーカリーのパン販売
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
随想録(93)(注1)に書いたように、2007年10月から、スワンベーカリー十条店・赤羽店のパンを学部ゼミ生と障がい者の方たちと一緒に学内で毎週1回お昼休み時に販売している。売上は次第に伸び始め、2008年は売上金額は2万5千円から3万5千円、個数では200個くらいは売れた。しかし、2009年になって小麦粉の値上げによる価格引き上げの影響や他店(学内コンビニ、地元商店による格安弁当の学内販売店)との競合もあって売上が減少し、2万円を切ることも多くなった。
そこで、2009年6月から、14号館1階ホールでの販売に加えて、商学部のある11号館3階の教員室で教員室職員の方たちの協力を得て販売を開始した。最初は3千円ほどの売上だったがほどなくして5千円を超えるようになった。クチコミで職員や教員の間に評判が広まってくるとともに売上は増え、2010年からは1万円を超えることも多くなり、14号館の売上との合計で再び3万円に届く日も出てきた。2011年度は震災により授業開始が1ヶ月遅れて売上が心配だったが、初回3万8千円、次週は3万9千円と上々の滑り出しとなった。
最近は「障害者の作ったパン」ということはあまり前面に出さないで売っているので、事情を知らない教員の方には「鵜飼さん、パン屋さんを始めたの?」と率直な質問をする人もいる。それでも「来週はこれを用意しておいて」と予約をいただくことも少なくない。毎回「千円分」と大人買いをしてくれる教員もいる。
(2011/04/30)
東京に行き、馴染みの店に行くと、「今回ばかりはダメだよ。そろそろ潮時かねえ」と老主人がうなだれてうなだれていました。「行くとこなくなると困るから頼みますよ」と慰めてきたのですが、風評被害というかなんと言うか、こんなことになるとは。
祭りは中止にすべきか
平塚市で選挙が終わり、新しい市長が七夕祭り中止を撤回した。その選挙の直前、平塚市を訪れたが、地元の企業経営者や商工会議所の関係者は、祭り中止を表明した当時の市長や市役所側の対応にに憤っていた。「仙台市が復興に向けて開催を表明しているのに、被災地でもない平塚市がなぜ中止なのか。」「引退を表明して、任期わずかの市長が決めることなのか。」平塚市当局の対応の悪さが問題を複雑にしたきらいがあるが、結局、「新市長の判断待ち」と言うことになった訳だ。
「以前から役所が主催ということで良いのかと言う意見もあった。これを機会に民間主導に切り替えれば良い。」と話す商工会議所関係者もいた。
結果として新市長は開催中止を変え、七夕まつりは開催される見込みとなった。こうした問題は平塚市に限ったことではない。やはり同じ神奈川県のある都市でも祭りの開催について賛否が分かれている。「飲食業やサービス業などが地元では多く、これ以上の自粛が続くと廃業や倒産を引き起こしかねない状況。」だと地元の企業経営者は言う。
東京に行き、馴染みの店に行くと、「今回ばかりはダメだよ。そろそろ潮時かねえ」と老主人がうなだれてうなだれていました。「行くとこなくなると困るから頼みますよ」と慰めてきたのですが、風評被害というかなんと言うか、こんなことになるとは。
祭りは中止にすべきか
平塚市で選挙が終わり、新しい市長が七夕祭り中止を撤回した。その選挙の直前、平塚市を訪れたが、地元の企業経営者や商工会議所の関係者は、祭り中止を表明した当時の市長や市役所側の対応にに憤っていた。「仙台市が復興に向けて開催を表明しているのに、被災地でもない平塚市がなぜ中止なのか。」「引退を表明して、任期わずかの市長が決めることなのか。」平塚市当局の対応の悪さが問題を複雑にしたきらいがあるが、結局、「新市長の判断待ち」と言うことになった訳だ。
「以前から役所が主催ということで良いのかと言う意見もあった。これを機会に民間主導に切り替えれば良い。」と話す商工会議所関係者もいた。
結果として新市長は開催中止を変え、七夕まつりは開催される見込みとなった。こうした問題は平塚市に限ったことではない。やはり同じ神奈川県のある都市でも祭りの開催について賛否が分かれている。「飲食業やサービス業などが地元では多く、これ以上の自粛が続くと廃業や倒産を引き起こしかねない状況。」だと地元の企業経営者は言う。
産業復興支援に関する考察(2011/04/30)
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
1.エネルギー問題について
今回の大震災を通じてわが国産業が持つ様々な問題点も明らかになった。何よりも、産業だけでなく社会全体がいかに電力に依存しているかということを今更ながらに思い知らされた。水も油も鉄も半導体も紙も部品も交通システムもITも。
随想録(41)でも書いたように、わが国の高度成長期において最も基盤となる、戦前と一線を画する技術革新はエネルギーと材料におけるそれであった。とりわけ、戦後の生産性向上のかなりの部分は、発電をエネルギー生産効率の極めて高い石油に転換したことによって説明される。戦後主導産業となった家電、自動車、そして半導体はいずれもその生産と消費において廉価で豊富なエネルギーの存在を前提としている。
これらの製品や部品に使われる主原料について考えてみると、その大元は鉄鉱石、石炭、ボーキサイト、マグネシウム(岩石や海水に含まれる)、珪素(岩石や土壌の主成分)、石油などの天然資源である。これらに石油やウランからつくりだされたエネルギーを加えて生産されたものが鉄鋼、アルミ、マグネ、シリコン、樹脂などである。これらの貴重な材料は、いわば、一見無価値な土塊に膨大なエネルギーを加えて創造したものと言っても過言ではない。
そして石油が非常に効率のよいエネルギーだったことが、これら材料の生産効率を著しく高めたのである。エネルギーの技術革新が一番大きい、というのはこの意味においてである。1970年代におけるオイルショックはこの技術革新に資源制約という条件があることを思い知らせた。その後の石油価格の推移はこの資源が枯渇するにはまだ時間があるということを示唆する一方で「資源制約を免れると環境制約が現れる」という教訓も残した。
早稲田大学商学学術院教授 鵜飼信一
1.エネルギー問題について
今回の大震災を通じてわが国産業が持つ様々な問題点も明らかになった。何よりも、産業だけでなく社会全体がいかに電力に依存しているかということを今更ながらに思い知らされた。水も油も鉄も半導体も紙も部品も交通システムもITも。
随想録(41)でも書いたように、わが国の高度成長期において最も基盤となる、戦前と一線を画する技術革新はエネルギーと材料におけるそれであった。とりわけ、戦後の生産性向上のかなりの部分は、発電をエネルギー生産効率の極めて高い石油に転換したことによって説明される。戦後主導産業となった家電、自動車、そして半導体はいずれもその生産と消費において廉価で豊富なエネルギーの存在を前提としている。
これらの製品や部品に使われる主原料について考えてみると、その大元は鉄鉱石、石炭、ボーキサイト、マグネシウム(岩石や海水に含まれる)、珪素(岩石や土壌の主成分)、石油などの天然資源である。これらに石油やウランからつくりだされたエネルギーを加えて生産されたものが鉄鋼、アルミ、マグネ、シリコン、樹脂などである。これらの貴重な材料は、いわば、一見無価値な土塊に膨大なエネルギーを加えて創造したものと言っても過言ではない。
そして石油が非常に効率のよいエネルギーだったことが、これら材料の生産効率を著しく高めたのである。エネルギーの技術革新が一番大きい、というのはこの意味においてである。1970年代におけるオイルショックはこの技術革新に資源制約という条件があることを思い知らせた。その後の石油価格の推移はこの資源が枯渇するにはまだ時間があるということを示唆する一方で「資源制約を免れると環境制約が現れる」という教訓も残した。
(2011/03/31)
震災の時、私は福井市にいました。商工会議所の入る新しいビルの地下一階。その日は、お昼になっても吹雪くように雪が舞い散っていました。長い揺れを感じた後、通信社の支局長がすぐに支局に電話をかけ、震源は三陸沖で、かなり大きな地震が起きたことを、そこにいる人たちに伝えました。
福井での仕事が終わったら、小松空港に行き、そこから羽田に飛ぶ予定でした。空港に着いた頃には、多くの人がテレビの前におり、ただならぬ空気が漂っていました。定刻より数時間遅れた頃、空港内に「機長です・・」という異例のアナウンスが流れ、羽田空港には飛行可能だが、空港内には人があふれ、宿泊設備も食事も不足している。そんなところにみなさんを運ぶことはできないということで、機長の判断として欠航にすると伝えられました。
結局、その夜は金沢に急遽取ったビジネスホテルの一室で、ただ被災地の映像を眺めていることしかできませんでした。翌日、東京での仕事はキャンセルにならず、上京することに。必要がない荷物はフロントから自宅へ宅配便で送り、軽くなったかばんにはミネラルウォーターを詰め、在来線から新幹線を乗り継いで東京に向かったのです。車内には、信越、上越方面が不通のため米原経由で東京に行こうとする人で混みあっていました。いつもなら観光地帰りの乗客の賑やかな話声が聞こえてくる路線なのですが、一様に押し黙った重い空気が流れていました。
新幹線は平常運転でしたが、満席の状態で東京に向かいました。揺れる中で仕事を済ませ、今度は羽田空港に向かって、そこから大阪へ帰ることにしました。空港には、前日から泊り込んでいるいる人たちが疲れ、途方にくれ、ベンチや床に毛布を敷いて休んでいました。
ほんの数時間前までいつもの景色だったものが、ある機会を境に一変してしまう。あの日から、すでに数週間。いまだに映画の世界に放り込まれたような感じのままいるのは、あまりにもその変わりようが大きかったからかもしれません。
それにしてもテレビ局の私の担当をしてくれている女性のディレクターとアシスタントディレクターンの肝の据わっていること 笑
「おい、明日、収録するの?」「もちろんです。這ってでも来て下さい。」「這っていけるかっ!」という具合。「どんなことがあっても放送に穴を開けることはできませんよ。地震当日なんか高層ビルの上下に疲れた〜」ですから。こういう元気さも重要ですね。
我々が今、考えること・・・・
震災から現在まで、私が仕事を通じて知り合った被災地の産業振興関係の自治体職員たちは、一公務員として日夜奮闘している。ツイッターやメールで断片的に伝えられる彼らの生の声には、時として涙を禁じえないこともある。
まだ進行中の事態であり、その評価はまだ先に行われるべきことである。しかしながら、今回、原発事故とその後の対応のまずさは、日本のものづくり、製造業の国際的な評価の大きなマイナスを引き起こしたことは否定しようのない事実である。
震災の時、私は福井市にいました。商工会議所の入る新しいビルの地下一階。その日は、お昼になっても吹雪くように雪が舞い散っていました。長い揺れを感じた後、通信社の支局長がすぐに支局に電話をかけ、震源は三陸沖で、かなり大きな地震が起きたことを、そこにいる人たちに伝えました。
福井での仕事が終わったら、小松空港に行き、そこから羽田に飛ぶ予定でした。空港に着いた頃には、多くの人がテレビの前におり、ただならぬ空気が漂っていました。定刻より数時間遅れた頃、空港内に「機長です・・」という異例のアナウンスが流れ、羽田空港には飛行可能だが、空港内には人があふれ、宿泊設備も食事も不足している。そんなところにみなさんを運ぶことはできないということで、機長の判断として欠航にすると伝えられました。
結局、その夜は金沢に急遽取ったビジネスホテルの一室で、ただ被災地の映像を眺めていることしかできませんでした。翌日、東京での仕事はキャンセルにならず、上京することに。必要がない荷物はフロントから自宅へ宅配便で送り、軽くなったかばんにはミネラルウォーターを詰め、在来線から新幹線を乗り継いで東京に向かったのです。車内には、信越、上越方面が不通のため米原経由で東京に行こうとする人で混みあっていました。いつもなら観光地帰りの乗客の賑やかな話声が聞こえてくる路線なのですが、一様に押し黙った重い空気が流れていました。
新幹線は平常運転でしたが、満席の状態で東京に向かいました。揺れる中で仕事を済ませ、今度は羽田空港に向かって、そこから大阪へ帰ることにしました。空港には、前日から泊り込んでいるいる人たちが疲れ、途方にくれ、ベンチや床に毛布を敷いて休んでいました。
ほんの数時間前までいつもの景色だったものが、ある機会を境に一変してしまう。あの日から、すでに数週間。いまだに映画の世界に放り込まれたような感じのままいるのは、あまりにもその変わりようが大きかったからかもしれません。
それにしてもテレビ局の私の担当をしてくれている女性のディレクターとアシスタントディレクターンの肝の据わっていること 笑
「おい、明日、収録するの?」「もちろんです。這ってでも来て下さい。」「這っていけるかっ!」という具合。「どんなことがあっても放送に穴を開けることはできませんよ。地震当日なんか高層ビルの上下に疲れた〜」ですから。こういう元気さも重要ですね。
我々が今、考えること・・・・
震災から現在まで、私が仕事を通じて知り合った被災地の産業振興関係の自治体職員たちは、一公務員として日夜奮闘している。ツイッターやメールで断片的に伝えられる彼らの生の声には、時として涙を禁じえないこともある。
まだ進行中の事態であり、その評価はまだ先に行われるべきことである。しかしながら、今回、原発事故とその後の対応のまずさは、日本のものづくり、製造業の国際的な評価の大きなマイナスを引き起こしたことは否定しようのない事実である。


